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男もすなるにきおむなもしてみむ

ふい〜。

毎日、サイコーSDGFキャンペーンのためにIEを立ち上げてキャラクタをゲットしているわけですが、そのキャラをゲットするたびに毎度癒される。ああ、懐かしいなあ……と。
今日はエピオンだったんだけど、ああ、T様……とか追悼の気持ちが芽生えたよ。岡崎さんのキャラ紹介も、思いがこもってていい感じ。
もう放映されてたころから4年も経ったんだね。信じられない。そして、4年でDVDが発売されるなんて、恵まれてると思うよSDGFは。
明日は誰だろう? スティールドラゴンとかかな? 一山越えたら次は天宮勢かね。
ああー、DVD届くのが楽しみっ……!

お金がありません。

そういえば、今日の夢は狂った変態が姫に迫る夢だった。襲ってはいない。
ガーベラも狂っていた気がする。三幹部は狂った人ばっかり。騎馬王丸様が最後の砦か……。


昨日今日と妙に堕天録を読みたくてたまらないmroです。もちろん読みたきゃ読めって話なので読みました。今2周目です。
しかし何度読み返しても第1話は吹く。満を持してカイジ連載再開、今度は堕天録だ! とリアルタイムで楽しみに待ってた読者はどう思ったんだろう。ていうかサンドイッチを倒したシーンにベタフラww 吹くw
あまり関係ありませんが、堕天録の5巻からカラーがパソコン塗りになっているようで、この頃から福本さんは仕事にPCを取り入れるようになったんだなということがわかりました。4巻までは手作業なんだよね。(多分。)
涯に出てきたパソコンやメールの描写が妙に現実離れしているのも、あの当時福本さんが使ってなかったということなら納得できますな。


零です。
今週のマガジンは読んでない、というかコミックス4巻までしかまだ読んでませんが、
零が「ここのアトラクションは御しやすい……理に適った解答が必ず用意されている」と言ったことに関して。
これは多分、間違ってないと思います。というか、零を「……ギャンブル?」と疑問視する意見が出てくるのもこのためなんじゃないかと。
しかしですね、作中で、しかも主人公本人がこんなことを声に出してしまった、となると、これは今後どうなるか全く分かりません。
というのも、わざわざ物語の限界点、「これはこういう性質だ」ということを作者がキャラクタに(ナレーションでもいいけど)語らせる、ということは、逆に「非・こういう性質」の存在をも浮き立たせることになるのではないかと思うのです。

……わかりにくいので例を。
昔、国語の教科書の文章に、「現代の○○(忘れた)」というのが載ってました。○○じゃわかりにくいので仮に小説ってことにすると、「現代の小説」ってことになるんですが、この「現代の」という語句がくせ者。わざわざこんな言葉をくっつけるということは、文章中で「『現代の』小説」と「『非現代の』小説」との比較が出てくるんじゃないか、という予期に繋がります。その比較の上で「現代の小説」について主に論説する、という。事実、文章の中身はその通りでした。
タイトルというのはその文章の中身を端的に表す必要があるので、「現代の」という言葉の裏に「非現代との比較」というところまで意味を込めたんですね。

あ、現代の個人主義っていうタイトルだった気がした。
で、文章の中身は現代の個人主義を近代の個人主義と比較して解説してた。
なんで近代だけかというと、個人主義が生まれたのが近代で、「非現代」というと近代以降しかなかったから。

そんで零に翻ります。
零本人がわざわざ「御しやすい」「理に適った解答がある」とか言ってしまっている、ということは、
いずれ「御しにくい」「理では制御できない」ギャンブルが出てくるかも、という予期に繋がります。
だって作者からしたら、わざわざ自分の物語の限界点をキャラクタに言わせたりしないもん。ここで主人公にこんなこと言わせるってことは、裏に「非」の存在を臭わせてるってことになる。

結論:だから零は今後がすごく楽しみ。ということです。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

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